にほんもの
百人一首で歌われる「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」。この有名な歌は、平安時代の歌人で六歌仙や三十六歌仙の1人と数えられた小野小町のもの。百人一首の撰者、藤原定家はこの歌を日本文化の基になる理念で趣きが深く、高尚で優美な「幽玄様」の歌と評した。
小野小町は、豪雪地帯で冬は厳しくも、美しい自然に囲まれている秋田で生まれ幼少期を過ごし、その後京都の宮中で帝に仕え、晩年は秋田に戻りその生涯を終えたという。
幽玄のこころを育てたこの秋田の地に、ガラス工芸で唯一無二の作家がいると聞き、晩秋の紅葉が美しい季節に工房を訪ねた。
工房に入ると、陳列棚に置かれている数々の作品に目を奪われる。形状、質感、色合いすべてが個性的でどこか懐かしく、中には作品がガラスで出来ているのかさえもわからないものもある。この独創的なガラスの作品を創っているのは熊谷峻さん。秋田で生まれ育ちガラスを学び、一旦富山に行くも現在は秋田に工房を開き創作活動を行っている。


「珍しいものが多いですね。パート・ド・ヴェールのようにも見えますが」(中田)
「基本的な技法は鋳造を用いていますが、陶芸や鋳金の技法も応用しています。石膏型に再利用のガラス片などを詰めて窯に入れて、約1000度まで温度を上げて溶かしていきます。その後、時間をかけてゆっくり冷まし最終的に石膏型を割って中身を取り出します。型を木槌で割り作品を取り出すまでどのようになっているか自分にも予想がつきません。同じものを創ることはできないですが、それが面白い作品を生みだすと思っています」(熊谷さん)
もともと熊谷さんは、美大でガラス工芸を専攻しガラス制作を一通り経験していたが、自分の中で「これまで見たことがない作品を創ってみたい」「不純物が混ざったまるで汚れているかのように見えるが、趣があるガラスを創ってみたい」という思いが強くなり、ガラス工芸では珍しい鋳造という技法を選んだという。


作品創りは非常に時間がかかる。石膏型を作るのにも数日かかる上に、型に入った約1000度に熱せられたガラスを冷やすのに1週間から10日。そしてその型をひとつひとつ割って中身を取り出すが、取り出す際にガラスが割れてしまうことも。しかも使用した石膏型は割ってしまうので一度しか使用できず、すべてが一点ものの作品となる。
毎回一から作る石膏型も一般的には粘土を用いて陶芸のようにして原型を作るが、熊谷さんは蝋を使用する。蝋は熱めのお風呂ぐらいの温度で柔らかくなるので、綺麗な形に形成するのが難しく、自分のイメージしている曲線にはならないことも多い。しかしイメージとは違う曲線を活かし作品を創りあげるところも、ガラスに豊かな表情を与える創作活動の面白いところでもあると話す。


「どうやってこの色をガラスに閉じ込めているんですか」(中田)
「使用しているガラスは再生ガラスではなく、友人のガラス作家にもらったものが多く、それと一緒に土や金属の粉を混ぜてから溶かします。性質が違う原料が型の中で対流をおこし混ざり合うことで、土は不揃いな透明度を、金属は成分により青、赤、黄色など様々に発色します。その混ざり合ったガラス、土、金属が厚く重なり合うことで複雑な色が閉じ込められ、作品が出来上がります」(熊谷さん)
古代ガラスを思わせるような神秘的な鈍さがありつつも、希望の光を湛えているようにも見える熊谷さんの作品は、時の移ろいをガラスの表情を通して感じられる。
暗い環境では土の表情が強く焼きものにも見える時があるが、陽が差し込み作品にあたるとガラスらしさが強く出て、まるでその作品が光を放っているようにも見える。
かつて小野小町が見たであろう秋田の壮大な夕日に照らされた作品たち。そこから放たれた色とりどりの光を見て小野小町の歌を評した「幽玄様」という言葉が蘇った。







