にほんもの
加賀百万石、石川県は令和のいまも「工芸王国」だ。加賀藩の三代藩主・前田利常の時代、京都から多くの優れた工芸家を招聘。彼らに育成された職人たちが加賀藩に豊かな文化を広めることになった。当時、豊かだった加賀藩は、幕府の警戒心を解くため、“武”ではなく“芸”に潤沢な資金を投じたといわれている。漆芸、陶芸、金工、織物……その歴史は脈々と受け継がれ、いまもなお石川の地に文化的な彩りを与えている。
この10月、国立工芸館が東京から金沢市に移転したのも、この土地の文化的背景を見込んでのことだろう。兼六園近くにあるこの工芸館では、日本の工芸が持つ、とてつもないパワーを垣間見ることができる。あまりにも精緻、あまりにもパワフル、あまりにも麗美。歴史に名を残す工芸家たちの作品は、一見の価値がある。
中田英寿は、この移転に際し、名誉館長に就任することになった。10年以上続けてきた旅を通し、全国各地の伝統工芸に触れ、工芸家と知己を通じてきた。なかなか日の目を見ることの少ない工芸界だが、これを機に少しでも多くの人にその素晴らしさを知ってほしいというのが、彼が就任を決めた理由。腹案はいろいろあるというが、これからどんなふうに工芸界を盛り上げていくのかとても楽しみだ。
前置きが長くなったが、そんな縁もあって11月の旅は石川へ。紺碧の日本海と色づきだした山々。厳しい冬を迎える手前のいちばん美しい季節。中田がまず目指したのは、加賀市にある九谷焼の須田菁華窯。かつてあの北大路魯山人もこの窯で作陶を学んだという名窯。鮮やかに絵付けされた九谷焼が並ぶ店に入ると、四代目・須田菁華さんが迎えてくれた。
「もともとは九谷村という山奥の村でいい陶石がとれたことから、九谷焼が始まっています。初代がここ山代温泉に窯を開いたのは1891年、明治時代です。当時は中国の明の時代の作陶技術を積極的に取り入れたようですが、いまでもそれを受け継ぎ、昔ながらの作陶を行っています」(須田菁華さん)
九谷焼といって思い浮かぶのは、白磁に五彩色で繊細に絵付けされた鮮やかな磁器。だが、須田菁華窯に置かれた作品は少し雰囲気が異なる。磁器ではあるが、ややくすみのある器に大胆な絵柄。繊細さよりもおおらかさを感じさせてくれる。
「白磁ではないんですね?」(中田)
「うちでは真っ白は使わないんです。和紙でも真っ白がいいというわけではないでしょう。それによく見てください。同じように見える皿でもひとつずつ違う。ゆがんでいたり、にじみがあったり、指のあとがのこっているものもあります。それを失敗という人もいるかもしれない。でも私は、焼き物に失敗はないと思っています」(須田菁華さん)
初代から続く作陶の技術を守る。そのため須田菁華窯では、現在では一般的になっている電動のろくろやガス釜、電気釜をつかっていない。ろくろは、足で動かす“蹴ろくろ”、そして焼きには、登り窯を使っている。
「陶器だと焼きムラが出る登り窯を使っているところもたまにありますが、磁器で登り窯というのは初めて聞きました」(中田)
「確かにガスや電気に比べると、安定感はありません。でも焼きムラもあっていいんです。蹴ろくろも、いまのもののほうが性能はいいと思います。でも明治時代のものを使うと器の線がやわらかくなる。つくり手は少し技術をおぼえると、上手に見せたがります。でも上手く見せようと、機械でつくったような器になったら嘘っぽい。そういうものより、人間の手でつくられた器のほうが料理も美味しく感じられるんですよ」
実は、登り窯が使われなくなっている理由は、生産効率性だけではない。長いときは数日間にわたって薪を焚き続ける登り窯は、その煙が周辺環境に与える影響も大きい。かつては人里離れた場所にあったはずなのに、窯のまわりが住宅地になったことで、登り窯の使用を断念したり、移転を余儀なくされたりという話を何度か聞いた。こういった苦労は、歴史ある須田菁華窯も例外ではないらしい。なにしろ窯があるのは、山代温泉の真ん中だ。店の近くにある登り窯は、建屋で覆われ、外観からはわからないようになっている。
「うちでは年4回、1回30時間くらい窯焼きをしますが、煙突からは煙が出ない。煙突に特別な機械を入れて、煙をガスで焼くようになっているんです。焼き物は薪で焼くのに、その煙を焼くのはガスなんです(笑)」
伝統を守るために、新しい技術を取り入れる。この柔軟性があるからこそ、須田菁華窯は九谷焼を代表する窯として100年以上の歴史を紡いでこられたのだろう。「ゆがんでもにじんでも失敗ではない」。「上手く作ろうとすると嘘っぽくなる」。四代目の言葉に浮かんだのは、国立工芸館に飾られていた数々の名品だった。それらを見ていると、どうしても作り手はどんな人だったんだろうと思いをはせることになる。人がいるから工芸がある。当たり前のことかもしれないが、大切なことに改めて気づかされたような気がした。