にほんもの
鹿児島県霧島市福山は、黒酢の町だ。決して大きな町ではないが、ここには8つの酢の醸造所があり、全国に黒酢を出荷している。目の前に広がるのはおだやかな錦江湾。そしてその向こうに勇壮に噴煙を上げる桜島を拝む、この風光明媚な町で黒酢が造られるようになったのは、江戸時代後期の1800年ごろといわれている。商人が始めた、地元の杜氏が始めた、あるいは中国から伝わったなど、その起源には諸説あるが、この地でとれる上質な米、きれいな湧き水、そして温暖な気候が酢造りには最適の環境だったようだ。
「なぜ福山で上質な黒酢が出来るのかというのは、実は完全には解明されていないんです。同じような気候の場所で同じように造ったこともあるらしいんですが、うまくいかなかったそうです。福山は良質な酢酸菌を空気に含んでいるとも言われています」(福山黒酢 久保園新司工場長)
福山の黒酢といえば、有名なのはアマン壺と呼ばれるかめ壺で造る伝統の製法。福山黒酢の敷地を訪ねると、黒酢の発酵をうながすアマン壺が約2万本、所狭しと並んでいる。彼らはこの場所を“壺畑”と呼んでいるそうだ。
「米こうじと蒸した玄米、地元の地下水を壺に入れた後、水面に浮かせるよう再度米こうじを振りかけます(これを職人は振り麹と呼んでいる)。この壺のなかで半年から1年醸造させ、さらに3年間熟成させると琥珀色の黒酢になるんです」(久保園工場長)
一般的に販売されている酢が24〜48時間程度の醸造工程で出荷されるものが多い中、この黒酢が出来上がるまでは途方もない時間がかかる。だが、その時間がまろやかなで芳醇な味と香りを酢に与えるのだ。中田英寿もアマン壺を前に作業してみる。米を入れ、水を入れ、米こうじを振りかける。単純な作業だが、これを1本1本やっていくのはかなり大変な作業だ。
「同じ分量を入れても、壺の状態によって味が変わるんですか?」(中田)「やっぱり違ってくるんですよ。なかにはまったく発酵しない壺もあるので、毎日壺の中身をチェックしています」(久保園工場長)
壺が置かれているのは野外。雨がふっても火山灰がふっても、壺はそのまま野外に置かれ続ける。
米こうじと蒸した玄米、地元の地下水を壺に入れた後、水面に浮かせるよう再度米こうじを振りかける(振り麹)。この最後の米こうじがフタの役割を果たし、壺の中の発酵を促すのだという。
「いちばんの天敵はもぐらです。地下を掘って空洞をつくるので壺が倒れてしまうことがあるんですよ(笑)」(久保園工場長)
ちなみに久保園工場長を始め、福山黒酢で働く人の多くが地元の出身だという。この土地が持つ自然の力と伝統を守る人々の技術が極上の黒酢を造っているということに、改めて地域に根づく伝統産業の素晴らしさを感じた。