にほんもの
極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまへ
極楽というものが疑わしければ、宇治の平等院へ行き拝んでみるともう一度信じ直すことができると、現世の極楽浄土として造られた平等院の浄土庭園は約970年前から人々を魅了していた。
平等院だけではなく王朝貴族たちの別荘が立ち並び『源氏物語』の舞台ともなった宇治は、宇治川を挟んで「現世と来世」「華やかさと静けさ」など、宇治全体が意味を持つ歴史ある土地だ。
この地にノミやカンナなどで木を刳りぬいて創りあげる木工芸「刳物(くりもの)」の第一人者、村山明さんが工房を構えている。
工房には、細かい技法で創りあげられた重箱や棚。木目を活かした風合いと繊細な曲線で構成された卓や盆などが置かれ、訪問した人はどれを見てもその作品の美しさに魅了される。
「このような作品は、どのように想像して創るのでしょうか。また大切なことはなんでしょうか」(中田)
「ひらめきや思いつきがとても大切です。しかしこれが長く続かなかったらただの思いつき。1週間そのまま考え続けられ、具体的に最後の形が見えるようになったら、ノミを入れはじめます。想像した最後の形に向かって創り続ければ確実に形になります。形が見えないとノミを入れることができません。」(村山さん)
村山さんは、兵庫県尼崎市生まれ。京都市立美術大学彫刻科出身で、木工芸で初めて人間国宝に認定された黒田辰秋氏に師事され木工芸の道へ。2003年に重要無形文化財(人間国宝)に認定。2005年には紫綬褒章を受章され、現在でも精力的に作品を生みだしている。
黒田さんとの出会いは偶然の縁だったという。
「大学1年の春。学校の彫刻科の集まりでOB含め大人数でお酒を飲んでいた時に、たまたま話をして仲良くなった10歳上の先輩がいました。ちょっと家まで遊びに来ないか?と誘われお邪魔するような関係に。そのうち先輩からうちの親父が仕事をしているので手伝ってくれないかと頼まれ、そのまま今でいうアルバイトのような形で手伝い始めました。そのお父さんこそが、後に師匠となる黒田辰秋でした。結局卒業までそのまま黒田家に居ついてしまいました。」
黒田辰秋氏の仕事場は1階が木を加工する木地場、2階が漆場だったという。村山さんは1階の木地場でノミやカンナなどを使って木との格闘に没頭し、2階の漆場へはほとんど足を踏み入れることがなかった。いざ、自らが1つの作品を創りあげる時に、漆の作業をやったことがなく困ったが、人に聞いたり書籍を参考にしてみたり、見よう見まねでやり始め、拭漆の技術を会得したという。
村山さんは笑顔で「積み重ねで何とかなるもんなんです」と言う。しかしこの笑顔の裏には何千回何万回という積み重ねの中で、良いものを創ろうとする努力と妥協なきこだわりがあったからこそ、我々を魅了する作品を創りあげることができるのであろう。
「表面に塗ってある木目を活かした漆は何回くらい塗り重ねるものですか?」(中田)
「拭漆は30回くらい。塗っては拭取ってを繰り返し、下地を固めていきます。傷をつけながら拭取ると0.01㎜以下しか残らないがこれを何度も繰り返し表面の粒子を細かくすると、漆が光を吸い込まず逆に滑らかに反射するようになり透明感が出てきます。」(村山さん)
木を削り出し整え、拭漆で表情を出し1つの作品になるまでに約ヵ月。長いものになると1年程かかるという。この膨大な手間と時間をかけて、数百年先に作品に使われている木がどのように変化するのかを考えて作品を創りこむ。
昭和、平成、令和の時代を生き抜いた職人がこのような作品を創りあげ、数百年先に日本のどこかで人の目に触れたとき、この宇治の平等院と同じように人々を魅了していることだろう。