にほんもの
富山を訪れるものは、市街地や海、バイパスや高速道路などあらゆるところから、まるで壁のように立ちはだかる立山三山や剣岳を中心とした3000m級の山々を見られることに驚き、その雄姿に感動する。
万葉集にも詠まれ古くから信仰の対象でもあり、雪をいただいた姿は神々しい立山連峰が、美しく豊かな土地を生み出し、その立山連峰から1年を通じて豊かで綺麗な水が、天然のいけすと称されブリ、白エビ、ホタルイカ、ゲンゲをはじめとした魚介の宝庫である富山湾を支えている。この豊かな水を使った、伝統的な産業が多く残っているのも富山の大きな魅力だ。
澄み渡る青空と立山連峰の壮大な雪景色のコントラストが素晴らしい初春の朝、中田が向かったのは、立山町にある蛭谷(びるだん)和紙唯一の継承者である川原隆邦さんの工房だ。蛭谷和紙は1988年に五箇山和紙・八尾和紙とともに越中和紙として経済産業大臣が指定した伝統工芸品の一つで、現在は川原さんがひとりで作り続けている。
「蛭谷和紙は、約400年前に滋賀県東近江市の蛭谷から富山県朝日町に移住した人が伝えたと言われる伝統技術です。当初は発祥でもある朝日町でひとりでやっていましたが、そもそも和紙は民芸で生活の傍ら冬の閑散期に作っていたものなので、和紙一本で食べていくのはなかなか難しい。そこで心機一転、伝統をいったん置いて、新たな土地で自分のスタイルでやりたいと思い、この山あいの14軒しかない小さな集落に移りました」(川原さん)
現在、紙の材料となる楮(こうぞ)やみつまた、雁皮、とろろあおいなどを購入し制作する和紙職人が多い中、川原さんは楮やとろろあおいを育てる山づくりから自ら行なっている。
「私の和紙は楮ととろろあおいを使います。上質な紙を作るには、材料を育てたり、丁寧に処理したりすることがとても大事で、紙漉きの工程はほんの一部。この昔ながらの製法を守ってこそ蛭谷和紙なんです。この土地で材料を育て、秋に収穫し、冬に紙を漉くという、富山の風土にあった生活をしないとできない仕事です。だから大量生産はできず、すべてフルオーダーの受注生産です。」(川原さん)
伝統的なものでなくても、技術的に可能であれば様々なチャレンジをする川原さん。国内では、東京・虎ノ門のオフィスビルで、虎ノ門の等高線を12色の糸で漉き込み、縦3.5m×横10mの巨大な一枚紙で制作。紙の限界に挑戦し話題に。富山では県民会館のロビーに立山杉の皮を漉き込み模様を出す技法を用いたアートで驚きを与えた。また海外でも、ルーヴル宮パリ装飾美術館で繊細な月の満ち欠けを和紙で表現し高い評価を受けている。
「このサイズの和紙を一人で作られているとは思いませんでした。大きな和紙を数人で作っているのは見たことはありましたが、大変な作業ですね」(中田)
「土間一面に水を張り漉き込んでいく大きな和紙から、息を吹きかければ飛んでいくような世界で一番薄い和紙まで、また四季折々の植物などを漉き込んだり、枠を使って様々な形を表現したりと、オーダーに合わせて作品を一人で作り上げています。作品が出来上がるまでは、打合せを重ねより良い技法、質を突き詰めて、その場に合うものなのかをしっかり考えてイメージを膨らませて制作します。良い和紙というのは、職人が良いものですと勧めるものではなく、使ってくれる人、見てくれる人が良いと思ってくれるものだと思っています」(川原さん)
川原さんがこの集落に移り住んで6年。川原さんの生き方に共鳴したのか、やりたいことをやりたい人が集まってきた。自分で山に種を撒き木を育て、その木で漆掻きもする漆芸家や、立山連峰に抱かれた環境を活かした自然農に取り組む農家なども移住し、14軒中4軒あった空き家が今ではすべて埋まっている。
川原さんが移住するまでは、この集落に子供はいなかった。しかし今では4人の子供が野山を駆け巡りにぎやかな声をあげている。この光景を見て、日本の社会課題となっている過疎化していく集落を活性化させるひとつの方法として、地元に根付いた伝統工芸を活かすことができるのかもしれないと思った。
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