MIYAVI meets BMW THE 2 Gran Coupé

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時代のその先へ、駆けぬけるスピードを。

つねに挑戦し続ける“サムライギタリスト”として、日本のみならず世界で活躍するMIYAVI氏。そのニューアルバム「Holy Nights」に収録された新曲「Need for Speed」のミュージック・ビデオには、疾走感溢れるサウンドとともにニューBMW 2シリーズ グラン クーペが登場している。MIYAVI氏がこの楽曲に込めた想い、そしてBMWに共鳴することとは何か。かつてないスピードで変わり続けるこの世界で、音楽は、モビリティは、いったいどのように進化していくのか。それは、時代の先端を駆けぬけているMIYAVI氏だからこそ、見通せる未来の世界なのかもしれない。

時代に追われるのではなく、 そのスピードより速く駆けぬけて、僕らこそが時代を作っていく。

―新曲「Need for Speed」に込められた想いについて

現在のコロナ情勢はもちろん、地球温暖化、難民問題、ジェンダー差別、僕らはさまざまな問題を抱えています。その中で、この時代をどのように駆けぬけていくのか。僕らが立ち止まっていても、時代は確実に変わっていく。だからこそ、時代に追われるのではなく、そのスピードより速く駆けぬけて、僕らこそが時代を作っていく。そのバイタリティとエネルギーを表現したいと思って、この曲を作りました。

僕は、自分のギターのプレイスタイル含め、誰も見たことのない領域に行きたい、と強く思っています。その領域に行けた時の歓び、それこそが希望なのです。このコロナ情勢下で、人間はもう発展しなくていいんじゃないか、という意見もあります。地球との向き合い方や資源の使い方に関しては考えなければいけない時期に来ていると思います。が、人として生まれ、知性を持っている以上、僕らには加速し続けること、向上していくこと、生産性を上げること、いろんな人としての歓びがある。だから、何かに挑戦している人たちや、もう無理なんじゃないかと思っている人たちが、一歩を踏み出せるような勇気をくれる曲にしたいと思っていました。

―MVを制作する上でのチャレンジについて

本当は、実車に乗って撮影をする予定で楽しみにしていました。しかし、このコロナ情勢下で、なかなか着地点が見つからず、実際に撮影ができない状況の中で、ボルメトリックキャプチャ※という手法で、東京で撮ったデータを米国に送って、南米のチームとともに完成させました。その中でBMWもデジタルにできるか、ということは大きな挑戦でした。本当はもっと登場させたかったのですが…。状況が二転三転する中で、時間などいろんな制約もある中で、結果的に実写とは違うかたちで、異空間の中を走るBMWを見せられたんじゃないかなと思います。

※人物などを立体形状のデータを複数のカメラで取り込み、3DCG化する技術。

―本物のTHE 2 Gran Coupeを目にして想うこと

やっぱりクルマって、音と匂いと温度、それに空気の振動や躍動感を加えて完成するんだな、と思いましたね。エンジンってクルマの命なんだな、と。まさに血がめぐり、命が宿っている。生きている、という感覚です。それから、実際に目にすると、ヘッドライトなんかは近未来的で、細部のディテールにこだわって作られたことがわかります。それはCGでは見えない部分ですから、やはり実際に生で見て、触れることでしか得られない歓びだと感じました。

走ること自体に歓びとゴールがあるというのは、MIYAVIとしても強く共鳴する部分です。

―BMWと共鳴する部分について

仕事柄、いろんなブランドに触れる機会がありますが、お互い共鳴するかどうかはとても重要です。そういう意味では、「駆けぬける歓び」は僕のもっている価値観に近いのかな、と思います。駆けぬけること自体に、歓びを見い出す。例えば、僕にとってはどこかの会場でライブをする、楽曲をリリースする、それも指標のひとつではありますが、そもそもの音楽をする動機が、ギターを弾くことそのもの。それは、BMWも同じですね。クルマを走らせるという熱量そのものに重きを置いている。ビジネス的な目標はいろいろあるでしょうが、走ること自体に歓びを感じ、そこにこそ存在意義があるというのは、MIYAVIとしても強く共鳴する部分かな、と思います。

僕たちも、例えばライブをするときには、もちろん売上の目標なんかがありますが、それよりも、その瞬間自分がどれだけスパークできたか、その瞬間どれだけお客さんとつながれたか、何より僕自身がギターを弾くことを歓べているか、僕にとってはそれが何より大切です。いつも自分にワクワクしていたいし、自分にワクワクしてないと、誰かの心を動かすことなんてできないと思うからです。

リアルとバーチャルが共存する時代になった時に、クルマはどう存在できるか。

―これからのクルマの存在意義について

とくに、今このコロナの状況において、自分の意志で行きたいところに行けることの尊さは、痛感します。電車やバスだと行けるところが限られていますが、クルマなら、どこにでも行ける。山でも、海でも。徒歩だと今まで到達できなかったところにまで行けるようになった。これから、もちろん宇宙船なんかが現れて、もっと遠くに行けるようになるでしょうが、クルマは僕らが到達できる範囲を確実に広げてくれた存在だと思います。

これから先にどうやってクルマが存在できるのか。これは、本当にサステイナビリティの問題であり、環境との共存、バランスになっていくでしょう。どれだけこの地球と寄り添った上で、人の行動範囲を広げて行けるのか。クルマの在り方は変わっていくでしょうね。クルマを所有するという概念も変わるだろうし、すごく時代は変わると思います。

ですが、もしかしたら50年後には今から僕が言うことは古臭く感じられるかもしれませんが、人が視覚、嗅覚、味覚、その他のアナログなものを通して世界を感じている以上、物質的な部分の存在意義はあると思っています。今、デリバリーなども盛んですが、どれだけプロセスがデジタル処理されても、最終的にはアナログなわけです。デジタルで注文して、デジタルで決済しても、結局作るのは人、食べるのも人。そういう意味では、クルマに乗った時の振動、見える景色、スピードも、それはやはりバーチャルとは確実に違うんですよね。

もちろん、僕はバーチャルとリアルが共存する時代が来ると思っていますし、自分もそこに向かっています。しかし、リアルで感じるものは変わらない。そこはすごく大事にしたいなと思っています。だから、リアルとバーチャルが共存する時代になった時に、クルマがどう存在できるか、自動運転技術ふくめ、すごく興味があります。

どれだけ時代が変わっても、歓びは変わらない。歓びの新しい感じ方を、 人として見つけ出さないといけない。 今、僕らはその時期に来ています。

―これからの音楽の在り方について

音楽業界でも、まったく同じことが起きています。これからバーチャルと共存していくなかで、バーチャルの中でどれだけリアルになれるのか。それを突き詰める上で僕らが考えなければいけないのは、「何をもって人とするのか」ということ。ビートも、ギターの演奏も、サンプリングで簡単に、より高いクオリティで作れてしまう。そこに、人として僕らが存在する意義とは何か。テクノロジーの進化は、ある意味では、僕ら人間が必要とされる領域を狭めているとも言える。もっとも、僕自身は社会が非物質化していくこと自体は、地球にとっていいことだとは思います。それは、今回のコロナ渦で見えたことでもあります。今、音楽業界で大きな問題となっているのは、ライブができないこと。アナログレコードからCDに、CDから配信になったのと同じ現象が、今度はライブに起きている。音楽業界も変わるでしょう。今までの価値観で言うところのクオリティは下がるし、人も減る。それは不可避です。ただ、音楽自体のパワーは変わらない。

クルマも同じですね。どれだけ時代が変わっても、駆けぬける歓び自体は変わらない。全身の感覚で、その歓びをどう感じるのか。その新しい感じ方を、人として見つけ出さないといけないのかな、と。今、僕らはその時期に来ていると感じます。

―MIYAVI氏が想う未来の世界について

未来がどうなるか。VRもそうでしたが、結局はハードとソフトのバランスなのです。ハードの変化を敏感に捉えて、僕らミュージシャンも変化する。逆に、僕らがここまでできるから、テクノロジーもここまでできる。そういうふうにして、時代は変わっていく。 音楽業界は、これから配信の時代になっていきます。しかし、現状では配信には限界がある。ディストラクションが多すぎる。受け取れる情報量があまりにも少なすぎる。受け手の環境に依存しすぎている。たとえばライブをパソコンで見るとしたら、画面も小さい、音も悪い、他のものが目に入ってくる。匂いもなければ、振動もない。その情報量が限られる限り、バーチャルがリアルを超えてくることはないと思います。需要は高まるが、それに規格が応えられない。 それでも、10年後、20年後はわかりません。匂いも、振動も、そんなもの必要とされない時代が来るかもしれない。そうすると、果たして身体はいるのか、みたいな話になってくるし、そうなるとさらに求められるのは、「何を持って人なのか」「何を持って歓びなのか」ということになると思います。 今、僕らは産業革命に匹敵する時代に生きています。すごくドラスティックにいろんなことが変わっていく。そのなかで、どうやって自分の存在意義を見つけるか、なぜその仕事を選んだのか、僕の場合は、なぜ、何のためにギターを弾いているのか、それがますます問われる時代になるでしょう。